だぶ散歩

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旅行、廃墟の話をしたりTrySailの話をしそう

【旅行記】香川1日目(志々島)【2023】

今回は志々島の散策編です。

脱無職のせいで更新が遅くなりました。仕事は悪ですね。

初日?の移動はこちらから。

boooom.hatenablog.com

 

高松〜宮ノ下港

志々島に向かう船は香川県の西側にある三豊市の宮ノ下港から出ているが、高松は香川県のかなり東側なので移動しないといけない。レンタカーは借りずに電車で向かう。目的地の「詫間駅」までは快速電車に乗って約1時間かかる。

サンポート南風リレー号

詫間駅

港の最寄りに到着。ここから港までは2kmなので徒歩でも行ける。が、時間がなかったためバスに乗った。

平日ということもあり、私以外の乗客は地元民のおばちゃんだけだった。それで目立っていたせいなのか運転手にどこまで行くのか心配されて、降りる停留所を教えてもらえた。旅先では頻繁に人の優しさを感じる。

思っていたより大きな船だった(70人乗れるらしい)

港に着いた時点で船はまだ見えなかった。券売機も見当たらず不思議に思っていると、船がやってくる。どうやらデッキに券売機が設置されていて、乗船後に購入するという流れだったらしい。

デッキに座って待っていると、仏花を持ったおばあちゃんが乗り込んできた。島民だろうか?慣れた手つきで乗船券を買い、船内に座る。少ししてタラップが外れ、おばあちゃんと私の二人を乗せて船は出港した。20分ほどの船旅だ。

瀬戸内の海は凪

3月の冷たい風でも、海風を感じたくて、震えながらデッキに居座り続けた。

 

志々島

志々島は塩飽諸島に属する島民20人以下、周囲は3.8Kmと歩いて回れる小さな島だ。島に車は一台もなく(走れる道もない)、みんな徒歩か自転車だった。全盛期には1,000人もの人が暮らしていたらしい。

猫のブイアートがお出迎え

志々島に来た目的はお墓だ。正しく言うと両墓制の埋め墓を見にきた(土葬をしていた時代、ひとりの人間に対して、埋葬用の埋め墓とお参り用の詣り墓のふたつを設ける墓制のことを両墓制という)

実は船に乗っているときから既に港沿いにお墓が並んでいるのが見えていて、早く近くで見たくてうずうずしていた。一緒に乗っていたおばあちゃんは、私が写真を撮っているうちに民家の方へと消えていた。

両墓制の痕跡はこの塩飽諸島の他の島や、各地に少し残っているが、霊屋たまやと呼ばれる小さな家の形をした埋め墓があるのはここ志々島だけ。作る人が減ったことや、台風やらでいずれ見れなくなってしまうと思って、どうしても早いうちに見に来たかった。

霊屋

潮風から守るためのペンキとすだれ

ほぼ全壊のもあれば、比較的新しく見えるものも

島内に点在しているが、どれも海の目の前

一般的な埋め墓だと民家から離れた土地に設けられるが、この島では民家のすぐ近くの海の目の前に作られていた。そして詣り墓が逆に民家のない山中に設けられていた。

過疎化に伴い高齢者が多くなり、山中まで行くのは大変とのことで本来の参り墓は使われなくなった。そして、この埋め墓が詣り墓の役目を担うようになった(いくつもの花が供えられていることからもこのことがわかる)

こうして両墓制から単墓制に変わっていく中でも、「中が見えて恥ずかしくないよう」「仏さんが暑がるだろうから」と霊屋にすだれをかけているところを見ると、今でも島民が故人を偲んでいる気持ちが伝わってくる。

 

ゲストハウスきんせんか

志々島で唯一の宿泊施設で、築150年以上の古民家を改装した一棟貸だ。ここに一泊する。

素泊まりのみかつ、島内には飲食店やスーパーがないので島に来る前に食料を買って来る必要がある。一応カップ麺や飲み物を買えるところはあるが、基本はないものと思った方がいい。

入り口

入り口の門をくぐってすぐの景色

正面が母屋。右側に見える別棟には風呂・トイレ・キッチンといった水回り。

写っていないが実は左側にも2階建ての別棟がある。が、泊まるのは私ひとりなのでそちらは施錠されたままだった。

母屋の玄関

母屋の玄関奥の部屋(この写真を撮ったのみで使っていない)

居間にはこたつとストーブ

居間の奥には寝室

私ひとりには広すぎる家でワクワクが止まらなかった。しかもこの家にはテレビやWi-Fiがない。それもここを選んだ理由のひとつだった。島暮らしを味わえたらなと思って気軽に決めた宿泊だったけれど当たりでしかない。

居間には志々島に関する本などが置いてあり、自由に読める。こたつの上にも三豊市のガイドブックがそっと置かれていた。

次は風呂・トイレ・キッチンの別棟。

別棟の玄関

左扉がトイレで綺麗な水洗だった。右扉がお風呂。キッチンの奥には食器棚があり、よっぽど変なものを作ろうとしなければ食器や調理器具は十分すぎるほどあった。冷蔵庫には調味料も置いてある。

富士山の見えるかわいいお風呂

ボディーソープやシャンプー、リンスは揃っていた。歯磨き粉はないので注意。

 

島内散策

ゲストハウスきんせんかに向かう前に、港の近くにある「休けい処くすくす」という島で唯一のカフェに立ち寄っていた。ゲストハウスを運営する山地さん夫婦がこのカフェも開いているからとのことだった。

カフェの2階に団体客が来ているらしく、そちらを夫の常安さん、私の対応を妻・綾子さんがしてくれた。宿泊記録に名前を書き、ウェルカムドリンクとしてカフェのメニュー内から好きなドリンクをいただく。

色々話を聞いてみると、どうやらは綾子さんでなく夫がこの志々島の出身らしい。一度この島に来た時に大楠に神秘的な魅力に惹かれて、移住を決めたとのことだった。「行くまでの道は少し大変だけど、圧倒されるのでぜひ見てみてほしい」と。

志々島のマップや他の島の資料を見せてもらえた

霊屋を見に来たことを伝えると、両墓制に関する資料まで出してくれた。お墓目当ての人もいるが、志々島に来る人の大半はやはり大楠を目的に来ている人が多いらしく、少し驚かれた。

ガイドブックと漬物をいただいた

宿に荷物と漬物を置き、島内散策を始める。

志々島診療所

こういった路地がいたるところにある

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小さな島だが坂が多くて運動不足の体には厳しい。民家は敷き詰められるように建てられていた。これほどの人が住んでいたのだ。栄えていた頃の様子が眼に浮かぶ。そうしてかつて民家だったものは今では土壁が見えているか、ほぼ倒壊している。島民は高齢でこれらを直すことも撤去することも難しいのだろう。廃墟は好きだけれど、こういったところの廃墟を見るのは過去を思うと物悲しくなる。

横尾の辻

志々島で一番高いところへ向かう。想像していたよりもしっかり山道だった。

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手作りのベンチ

横尾の辻に着くと手作りの木製ベンチや机が置かれていた。机にはプラケースがあり

、中に誰でも書ける旅の思い出ノートがあったので記念に書いてみることに。しかし途中で雨が降ってきてそそくさと退散してしまった。どしゃぶりになったときの帰り道が怖かったのだ。

大楠

道を戻っている途中で雨が止んだ。先ほど勧められた大楠を見に行くチャンスだった。大楠は観光名所なだけあって、あちらこちらに案内看板が立てられている。亀の。

大楠を指をさす亀

なぜ亀?

これを追っていけば着くのだが、横尾の辻と違って下っていくような道が多かった。志々島診療所の近くに杖があったのでもってくればよかった…そんなこんなで到着。

大楠

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正直に言うとそこまで期待はしていなかったのだが、実際に目の当たりにすると迫力があった。大きくうねりながら四方に伸びる枝。根は地中で枝以上に広がっている。巨大な生き物のようだ。樹齢はなんと約1,200年だという。

雨は完全に止み、雲も薄くなってきたから休憩がてら近くのベンチに座った。草木の揺れる音、鳥の声だけが聞こえる。人がいないというのも、また大楠の神秘性を高めていた。

天空の花畑

港へはどうやって降りようかと考えていると、天空の花畑なるものの看板を発見したので行って見ることにした。

志々島はかつて花の島だった。仏花としても使われるきんせんかやマーガレットを100軒以上の花農家が育て、生計を立てていた。ゲストハウスの名前でもある「きんせんか」はおそらくこれが由来だろう。かつての花の島を取り戻そうと島民たちが一生懸命に管理しているのがこの「天空の花畑」だ。

手作りのブランコ

ここが花のじゅうたんになる

3月中旬はまだ寒く、あまり花は咲いていなかった。今回は天気に恵まれなかったのもあるし、次は花が咲く晴れた日に再訪したい。

日が暮れるまで海沿いを歩くことにした。ただ、宿までの道に明かりがないので、完全に暗くなる前までには戻らなくてはならない。

瀬戸内の海は凪

なんにも映んない鏡なの。ただ、しーんと銀色なの。その銀色の上をさ、さらさらさらって撫でるようにして、陽が沈んでいくんよ…

角田光代「八日目の蝉」

瀬戸内海を見るとどうしても「八日目の蝉」を思い出してしまう。舞台は小豆島。 凪いだ瀬戸内海をフェリーが進む様子の文章だが、内容も相まって印象的なシーンとしてよく覚えている。

映画版では本物の夕暮れの銀色に輝く瀬戸内海が映し出されていた。私もこの景色を見たくてここまできたのかもしれない。いずれ小豆島へもいきたいなぁ。

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すべてが曖昧になって溶けていきそうだ

猫ちゃんもいるよ

綾子さんがくれたデコポン

「休けい処くすくす」の近くを通ると、店じまいをしている山地さん夫婦に出会った。綾子さんが駆けつけてくれて「これすごく甘いからよかったら食べて」と大きなデコポンを手渡してくれた。漬物もデコポンもいただいて本当にありがたい限りだ。夕飯が足りないかもと思っていたので本当の本当にありがたかった。

「家あっちの方なの」「なにかあったら連絡してね」そう言って山地さん夫婦は自転車に二人乗りをして港とは逆方向に走っていった。

こうやってその土地に住む人の生活に見られると、旅が好きだなぁと思う。自分が部外者であることも心地いい。どこに行っても人の日常は続いている。その日常の一部に関われることができたなら、もっといい。

だんだん日も落ちてきた。私もそろそろ宿に戻ろう。

暗くなる前に宿に戻ってこれた。宿の門がある真正面の家は部屋の明かりがついていたが、他の建物は廃屋のようだった。明かりの少なさから、島民が少ないのだと実感する。

たまらない雰囲気だ

お風呂場に向かう途中、庭に出て泊まる家を眺める。ひとり、ここに取り残されてしまったのではないかと思うほど静かだった。

歩き疲れてへとへとの身体にしみる

ブラインドの降ろし方がわからなかったのでこのまま入った。窓の方向に人の住む家はないのでセーフ。

風が気持ちいい

遠く、島が見える。なにもない田舎と言えばそれまでだが、誰もいなくて静かなのは贅沢なことなのかもしれない。

こたつに入ってぼーっとする

夕飯(レトルトのさつまいもご飯といただいた漬物)

足りませんでした。

夕飯2

買ってよかった金ちゃんヌードル。大きなデコポンも頼もしい。左はおまけの日本酒。

志々島の想い出ノート

お酒を飲みながら想い出ノートを読む。びっしりと書き込んでる人もいて読み応えがあった。中には遠方から来る人も、長期滞在したという人も。島の中の印象に残った景色を絵にしているものあった。様々な人間がここにいたんだなぁ。ビジネスホテルも旅館も同じだろうけど、こうして自分以外の人間が泊まっていたことや想いが可視化されるだけで少し不思議な気持ちになる。人がそばにいない方が人のことを考えられるなんて。

一人の夜

いよいよ眠気もピークで、布団に潜りこんだ。明日は雨らしいから高松に戻って商店街の散策でもしようかなと思っている。おやすみなさい。

 

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