【旅行記】長崎2日目(軍艦島・佐世保)【2016】
長崎旅行の2日目。
長崎2日目(軍艦島)
軍艦島
「軍艦島コンシェルジュ」で軍艦島上陸ツアーを予約しているので、路面電車に乗り港に向かった。
大浦天主堂の近くの大浦海岸通り駅で降りて、少し歩くとすぐに乗船場だ。
手続きを済ませて港をうろつく。無風の超べたなぎで幸先よさそう。
時間が来て午前便の船に乗り込む。
ツアーの所要時間が3時間以上なのでちょっとした小旅行だ。ここに帰ってくるのは昼過ぎになる。
出航するとガイドの人が港の色々な物を説明してくれる。真ん中の緑のやつが日本初の電動クレーンらしい。へ〜。
まだまだ船旅は続く。
もろもろを過ぎると一気に海のど真ん中へ。
波の揺れはほぼない。
海をひたすら進むと、ようやく軍艦島が見えてくる。
軍艦みたいに見えるから軍艦島だとは聞いてたけど、実物のシルエットは本当に軍艦そのもので驚いた。
船はすぐに接岸するわけではなく、まずは島を周遊してじっくりと見せてくれる。どこに座ってても配慮して見せてくれるので、座る場所はあんまり気にしなくてもいいかもしれない。しいて言うなら進行方向左側の席だと写真が撮りやすいかなくらい。
周遊中、中ノ島が見えた。軍艦島には火葬場や墓地がないから、すぐ近くにあるこの中ノ島を住民の火葬場にしていたらしい。
着岸可能だとのことで、ついに上陸する。
夢にまでみた軍艦島。ここまで来れたのが嬉しくて当時の自分は現在地のスクショまで撮っていた。
いざ上陸。
軍艦島出身のガイドさんに案内されて、建物の説明や当時の様子を詳しく教えてくれた。トイレが海と直結していて、海が荒れてる日は水が噴き出してくるだとか、台風の時はアパートの上部にまで波がかかったのだとか。
炭坑員は毎日、何百メートルもの長さをものすごい速さで降りる竪坑エレベーターに乗って現場に向かっていた。死と隣合わせの仕事は過酷だが、給料はよかったようで当時テレビ普及率が低かったころにも関わらず、軍艦島での普及率は100%だった。
島内は映画館、ビリヤード場、スナック、遊郭と娯楽施設も豊富だったことから、いかに栄えていたのかが伺える。
時間になり、船へと戻る。
歩くルートはすべて決められていて、正直言ってたくさん見て回れるような場所ではないけれどすべてが壊れてなくなってしまう前にここに来れたことが嬉しかった。
帰りの船内では景品をかけたじゃんけん大会が行われた。
前に立つガイドさんにじゃんけんで勝ち、負けた人は座り、最後の一人になったら景品がもらえる仕組みだ。
3回戦が終わったあと、隣に座るおばちゃんに「強いのねぇ」と話しかけられた。
ガイドさんの出すパターンがなんとなく読めて、それが本当に当たったものだから自分でもびっくりしていた。さすがにもう申し訳なかったので、4回戦目は途中でわざと負けて、おばちゃんに次勝てる手をこっそりと教えた。結果、どうなったかは覚えていない。
佐世保
軍艦島ツアーの船を降りてからは早かった。
翌日の早朝、池島行きの船に乗るために、長崎駅から高速バスで佐世保駅まで移動する。
私が激推ししてる麻倉ももちゃんがこれでもかってくらい絶賛している「牧のうどん」が行ける範囲(佐世保駅から電車で30分)にあったので夕飯にする。
初のワンマン電車だったから乗り方がまったくわからなかった。とりあえず切符を買って移動する。
買った切符を駅員に見せるっていうのが不思議な感じだった。
おすすめはしめじ、ごぼ天、おぼろこんぶらしいけれど、トッピングが3つ以上になると自動的に大盛りにされるので今回はごぼ天としめじで。見た感じだとわからないけど、食べてる間にも麺がめちゃくちゃにスープを吸って膨張していく。
思ったより量あるぞこれ。欲張ってかしわご飯をつけなくてよかったと思う。
電車の時間があるので、食べ終わったら大急ぎで駅に戻る。
夕食を終えて佐世保駅に戻ってきた。せっかくだからと港をぶらつく。
佐世保の港もそうだし、長崎でも思ったけど全体的に綺麗に整備されてる印象があった。大きな駅周りで人が集まるからって理由だろうか。
港の徘徊を終え、駅にあるエレナ(スーパー)でお酒を買ってホテルに帰って長崎2日目は終了。
3日目は池島だ。